母の日と父の日に贈るアイデアとストーリー

日常の雑学
浅間山

母の日

 母の日は毎年5月の第2日曜日に祝われます。2025年は5月11日です。


 母の日の由来にはさまざまな説がありますが、一般的にはアメリカで始まったとされています。

 1907年、アメリカに住む女性アンナ・ジャービスが、苦労を重ねながら自分を懸命に育ててくれた母の死を悼むため、母親が好きだった白いカーネーションを教会に飾ったことが発端とされています。この行動がきっかけで、全米に「母に感謝する」運動が広まり、1914年にアメリカ合衆国議会が5月の第2日曜日を「母の日」として制定しました。

 アンナの母が亡くなったのが5月9日(当時の第2日曜日)だったことから、この日に定められたと言われています。以後、母の日には、母親が健在の場合は赤いカーネーションを、亡くなっている場合は白いカーネーションを胸に飾る習慣が広まり、次第にカーネーションを贈る風習へとつながりました。

 日本に母の日が伝わったのは大正時代のことです。当時の青山学院教授、アレクサンダー女史によって紹介されたとされています。その後、1931年(昭和6年)には皇后の誕生日である3月6日が母の日とされましたが、戦後、改めて5月の第2日曜日が母の日として定められました。

 日本で母の日が国民的行事となったのは、1937年に森永製菓が母の日を提唱したことがきっかけです。同社は同年、「森永母を讃(たた)える会」を設立し、母の日の普及活動を全国規模で展開しました。

 母の日の贈り物は、カーネーションに限らず、服飾品や食品、各種サービスなど多岐にわたります。毎年、母の日が近づくと、さまざまなメーカーが関連商品を発売し、百貨店や小売店では専用ブースを設けてプレゼント需要を取り込もうとします。その市場規模は、クリスマスを上回るとも言われています。

(高野朋美 フリーライター/2009年)
出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」


 年に一度の母の日。家族のために日々尽くしてくれる「お母さん」に感謝の気持ちを込めて、ねぎらいの言葉を贈ってみませんか。普段はなかなか伝えられない想いを、この特別な日に届けましょう。

父の日

 父の日は毎年6月の第3日曜日に祝われます。2025年は6月15日です。

父の日の由来

 1909年、アメリカ合衆国ワシントン州スポケーンに住むソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、男手一つで自分たち6人の子供を育て上げた父ウィリアムを讃えるため、父の誕生月である6月に教会で礼拝を行うよう牧師に依頼したことが、父の日のきっかけとされています。

 ソノラが幼い頃、南北戦争が勃発し、父ウィリアムは召集されました。母親が子供たちを育てていましたが、過労が原因でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。その後、ウィリアムは男手一つで子供たちを育て上げ、全員が成人した後に亡くなりました。

 最初の父の日の祝典は、翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われました。当時すでに母の日が広まりつつあったため、ソノラは「母の日のように父にも感謝する日が必要だ」と考え、牧師協会に嘆願したことがその始まりです。

 1916年、第28代アメリカ合衆国大統領ウッドロー・ウィルソンがスポケーンを訪れ、父の日についての演説を行いました。これにより、父の日が広く認知されるようになりました。

 1966年、第36代アメリカ合衆国大統領リンドン・ジョンソンは、大統領告示で毎年6月の第3日曜日を父の日と定めました。その後、1972年に父の日は正式に国の記念日として制定されました。。

 母の日の花がカーネーションであるのに対し、父の日の花はバラです。これは、ソノラ・スマート・ドッドが父の日に父親の墓前に白いバラを供えたことに由来するとされています。1910年の最初の祝典では、YMCAの青年たちが父を讃えるため、父親が健在の場合は赤いバラを、亡くなっている場合は白いバラを身につけたと伝えられています。

※YMCA:キリスト教青年会(Young Men’s Christian Association)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 日本で父の日が導入され始めたのは、1950年代ごろとされています。

 当初、父の日の認知度は低く、現在のように一般的な行事として広まったのは、1980年代に入ってからだと言われています。

 父の日は、デパートなどの商業施設が販売戦略の一環として取り上げたことで、一般に広く浸透していったと言われています。

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